東寺文書に見る奈良大乗院と明日香弘福寺・河原庄
440年前の一族訪問、丹波大山城
先日久しぶりに丹波へ行ってきた。主たる目的は440年ほど前に分かれた一族の後裔である老夫婦へのお見舞いであった。20年ほど前になるが、一時拙家が関係した庄園の歴史について武家の立場から見た庄園史的な雑文をネットに上げていたことがあり、それを...
丹波国桑田・船井両郡一揆衆
丹波国桑田郡・船井郡には以前少し触れたが「弓射連中」という組織があり、その連中の後胤には結構豊富な中世史料が現存している。江戸初期に書かれた「弓射連中」の由緒は過去の記事を見て頂きたいが、今回はこの連中の前身になる「丹波国桑田・船井両郡一揆...
奈良福智院と父
先日購入したタムロンのズームレンズをテストする為に、久しぶりに奈良へいってきた。奈良ホテルの東部にある荒池にある浮御堂を望遠レンズで池の西側より幾つか撮影してみた。 まあまあの結果だったので帰ろうとしたら、車の横にメスの小鹿が待っていてくれ...
東寺文書に見る奈良大乗院と明日香弘福寺・河原庄
私が中世文書を読みだしたのは、27~8才の頃だったと思う。拙家遠祖が領した丹波大山庄に関して在地で村史が発行されており、それを在地の本家ご当主が入手されたのでプレゼントして貰ったのがきっかけだった。当時は大学受験で日本史を勉強した以外何の知...
大乗院寺社雑事記他雑感
暖かい日差しに誘われ、先日散策した時に行きそびれてしまった、奈良興福寺の大乗院門跡後にある市の施設に行っていた。もう12~3年前になると思うが、初めてこの辺りを散策した時に見つけて、まだ庭園の発掘調査の最中であったが、建物は出来上がり公開さ...
室町時代の奈良福智院について
先日奈良福智院へお参りしてきた。私が研究している中で、福智院文書があることは知っていたが、さっと目を通しただけだったので殆ど記憶にない。幕府の奉行人奉書に何かあったような気がしたので蔵書を調べてみたら、当時は福智堂という名で呼ばれていたらし...
啓蟄に思う
毎年この時期になると「啓蟄」を思い出す。父の誕生日が3月5日だったこともあるが、この頃から地中で冬眠していた虫達がぞろぞろと地上へ出てくる季節ということを表している。元は中国から日本に定着した24節季の一つだが、本家の中国の方ではこういう習...
幕末の大和郡山城再建について
昨日久しぶりに郡山城址にある柳澤文庫へ行ってきた。丁度幕末に郡山城が焼失したあと再建した在地の史料が何点か発掘され、既存のものと一緒に展示してあった。日曜日ということもあって理事さんと学芸員さんもおられたので、事務室でついつい話し込んでしま...
室町幕府奉行人の署名方法
極々偶にであるが、ネットに書かれている歴史関係のご質問にお答えすることがある。ここ2~3年は殆ど書かなくなったが、10年ほど前は時々書いていた。その中で、源平藤橘などの姓・朝臣と書いてあるものについてのご質問があったので、お答えしたことがあ...
江戸中期の保津川下り(丹波亀山藩家老 松平新祐と皆川淇園)
国鉄山陰線の複線化工事により、嵯峨と馬堀(亀岡市)の間に新たなトンネルが掘られ、旧線が廃止になることとなったが、風光明媚な保津川沿いの線路を何とか残せないものだろうかと多くの方々が奔走された結果、嵯峨トロッコ鉄道をつくって旧線上を運行するこ...