時々ご自分の家系を調べようとされる方をネットでお見受けする。
歴史上に同姓の著名人がおられると、その一族ではないかと期待されるのは判らぬことでは無いが、家系とは極めて秘匿性の高いもので、勝手に著名人の一族だなどということを吹聴して貰うと、本当の子孫にとっては迷惑極まりないこととなる。
聖徳太子の時代より、律令制のもとで身分制度が作られ、官位十二階が制定された。そして班田収授のもとで戸籍が編纂され、班田を与えられると共にその土地に付属させられ、公訴公課が付されることとなった。所謂「租庸調」である。
しかし、これが全国に全て行き渡ったかというと、必ずしもそうではなく、山野に逃れた人たちもいたのである。多くは修験道に通じる人々である。有名な役小角(役行者)を祖と仰ぐ人々は大和だけでなく全国に分布していた。木地師も同じような経緯を経ていたと思われる。
これらの人々は後世の人別からも外れ、近世においては一種の被差別民と言われた人たちもいた。
また、奈良や京都の寺社・公家に付属した非人・横行・犬神人・河原者・穢多・かわた・夙・神子・隠亡など言われる人たちもいたのである。
明治の解放令により、これらの人々はすべて平民として戸籍に記載されたが、この制度の初期の頃にはまだ、それと思われる表現も一部で持いられたこともあって、明治初期の壬申戸籍は現在閲覧することは不可能になっている。法務省では全て廃棄したということになっているが、歴史学的に見てこれだけ重要な歴史資料を廃棄したというのは考えられず、何時の時代になるか判らないが、学問の史料として限定的に利用できるようになるかもしれない。
前置きが長くなったが、家系を調べようとされる方は、若しかしたら先祖が上述したような被差別民であったことを知る事になるかもしれない。そういう事態になったとき、それをちゃんと受け止める覚悟はできているのだろうか。
明治までの社会には緩やかではあるが、幾つもの身分層が存在していた。それは法によって規定されたものではなく、被差別民と言われる方々が、遠祖の由緒を誇り、それによって租税(通行手形なしで全国を移動できる権利など)の免除や地域での特権を強く主張してきた経過があった。江戸期の幕藩体制でもその支配を突き破ることが出来ないほど強靭な連帯を持ち続けてこられたのである。
例えば、「斃れ牛馬の処理権」については、幕藩支配地域に全く左右されず、彼らだけで縄張りを決め、牛馬の所有者(飼い主)であろうと、死亡した牛馬については勝手に処分することが出来なかった。郡山藩では藩主の馬が突然倒れ死亡した際に、その場所が丁度彼らの縄張りの境界であったので、その場所に埋葬したことがあった。それが後に彼らの耳に入り、権利を主張する者たちが互いに「出入り」に及んだこともあった。皮革製品や牛馬の油を煮詰めて作る「にかわ」などは彼らの専売であった。
また、寺社の祭礼や収穫期の祭りの際に独占的に出店を出す権利を持ち、在地の食品加工店といえども出店することは叶わなかった。地域によっては彼らに知らせず祭礼を行い、地域の店が出店したことがあったが、後にそれが彼らの知るところとなり、集団で押しかけ「縄張りを荒らした」と金品の強要をし、村落はそれに応じざるを得なかったのである。
これらの特権を主張する根拠の多くは、彼らの一部に伝承されてきた「河原者巻物」などにより、〇〇天皇・〇〇皇后より特権を付与されたという、現代の史学で考証すれば時代が少々噛み合わない、この伝承の傍証となる記録が史料として他に存在していない、誠に摩訶不思議としか言いようがない由緒書きを根拠としていた。江戸幕府と雖も穢多頭(矢野)弾左衛門・非人頭車善七を頭とするこれらの組織とは敢て対峙しなかったのである。
日常は普通の農民として暮らしているが、時には強硬に権利を主張し、近隣の同類達と徒党を組み堂々と押しかけてくる人達は、一般住民が迷惑と感じるのは当然であった。それ故、時代と共に緩やかではあるが、敢て交わりを求めないようになっていったのは当然の帰結であった。これは彼ら自らが特別な由緒を持つという優越感を持ち続けたことも、一般住民との交流を自ら疎外していったとも言える。
明治維新後、彼らは平民になったが、それは同時に今まで持っていた特権を失うことにも繋がった。明治になったからといって村社会の人間関係は特別変化を起こした訳ではないので、「何トナク異ナル」という感覚は一般社会に蔓延していたのである。
「何トナク異ナル」由緒を持っているという主張に基づいた特権が無くなっても、村社会の感覚が突然変わる訳でもなく、彼らにとっては社会から疎外されたとの被害者意識は大きく成っていった。それらの不満が結集して爆発したのが「水平社運動」へと繋がっていったのであろう。
この運動は今日でも途切れることはなく、行政や企業に対し様々な要求を突きつけ、巨額な金銭を引き出してきたことは、報道などで知られるところである。
近世の被差別問題については、奈良県同和問題史料センターの皆様が実直な研究をされ、毎年書籍を発行しておられる。それらの記事はPDFファイルにしてインターネットで公開されているので、是非一読して頂きたいと思う。
<先ほど確認したら、PDFファイルへのリンクが無くなっている。何か不都合があったのだろうか。毎年の紀要は別にしても『奈良の被差別民衆史』平成13年(2001)3月刊行 A5版 321頁 は同和問題を知る貴重な論文である。地方図書館でしか手にすることは出来なくなったようだが、歴史を研究する者にとっては必読書といえる。リンクが消えたことは誠に残念である>
図書館のカウンターで司書に相談すれば、蔵書がなくても近隣の図書館から取り寄せて貰うことが出来るので、ぜひご一読されることをお勧めする。
漠然とした形でも良いのでこれらのことを理解した上で、なお、家系を調べたいというのであれば、同姓の著名人との関係を調べるのではなく、先ず、貴方の祖父・曽祖父が何処の出身であるのか、そして、明治維新の頃の本家が何処におられるのか、代々の遠祖の墓所は何処に在るのか、その調査をしなければならない。
それを行わずに著名な歴史上の人物に関係があるのではなかろうかと憶測することは、「愚の骨頂」である。一代でも墓所が不明であれば、それ以上家系の遡及は出来ない。
ブログの中にも少し書いてあるが、家系は遠祖の祭祀と分離しては存在しない。
明治維新時の本家に辿り着くことが出来、本家に礼節を以って挨拶をされれば、ご仏壇にお参りすることも出来るだろうし、遠祖の位牌の確認も出来る筈である。
本家と一緒に菩提寺にお参りすれば、墓所も判るだろう。
母や祖母が武士の出身だという伝承は、そのご本家へゆけば殆どの場合解決出来るが、それをせずに質問してこられる方が未だに多い。
上述のように一つずつ解決してゆくことが必要だと申し上げると、その後何の音沙汰もなくなってしまう。この20年ほど、何度かご相談に応じて来たが、誰一人として実行された方はおられなかった。
尤も、結果を報告しなければならない義務はないのだが、礼節として、メール一本は必要だろう。
明治期に士族の家に養子で入られた方は、「士族」の族称をお金で購入された方が多く、肝心な養父の墓所・位牌・遠祖の位牌・過去帳さえも伝承されていない。
除籍謄本をお持ちなので、養子に入られたことは確認でき、確かに士族の養子になられたことは間違いなかったが、養父の墓所も戒名も伝承していないのに、絶家にした元の家の家系だけは過去帳をちゃんと伝承されている。こんな可笑しな家系はありえないのだが、現実にその末葉の方から質問がきた。
お金を出して養子にしてもらい、士族の姓を買ったが、その先祖の菩提寺や遠祖の祭祀まで買ったのではない。だから何方も養父の戒名も知らなければ、墓所さえも知らないのである。
誠に残念だが、遠祖の祭祀を継承していない限り、武士の子孫だとはいえない。それは家庭内だけで留めて頂いた方が賢明だといえる。
同じように、「家老の子孫」という方からご質問があったが、その方の苗字は藩の分限帳では確認できず、また、秩禄処分関係の公文書でも確認できなかった。
奈良県全ての士族(寺社の諸大夫・他藩の藩士や幕臣だった方も含めて)を調べてみたが、その苗字は一つも確認できなかった。
家系の「言い伝え」は嘘が多い。特に在地を離れられた方のご子孫にこういう伝承をお持ちの方が多い。
現在は多くの藩で分限帳も発行されているし、以前は見られなかった県の明治初期の公文書も調べることが出来る。本当かどうかはこれらを調べれば、ごく一部の例外を除いてほぼ確実に、武士の子孫かどうかは確認出来る。
村にお住いの方で、苗字を名乗っていたと仰る方も、江戸後期の古文書などで確認できることがあるが、それはごく一部の方だけであって、庄屋・肝煎と雖も文書で第三者が確認できることはまずない。
村の方(農民)は苗字を確認できなくても、代々の墓所ははっきりしており、明治期になっても、田畑を捨てて都会へ行くことはまずないので、除籍謄本をとれば江戸後期まで確認できることもある。
戸籍・除籍謄本の取得・明治初期の本家を探す・本家の仏壇にお参りさせて頂く・過去帳と位牌の確認・菩提寺へお参りする・墓所の確認・・・これらを順にクリアーしてゆけば家系は確認出来る。
母や祖母方の家系を確認しようとされる方は、貴方はその家の当主ではないのだから、それは僭越になる。ご当主に拝見させて頂いた過去帳を写真にとって、ネットに上げて先祖探しをされる方がおられるが、過去帳をネットに上げることは絶対してはいけない。
戒名は世間に公開するものではない。貴方はご自分だけでなく、その時代以降に関連した一族のプライバシーを世間に晒しているのだということに、どうして気付かれないのだろうか。
偽系図を作りたい人が悪用しようとすれば、偽系図の材料としてこんな「美味しい」ものはない。妾腹の子だったので別姓を名乗ったが、これが先祖だという偽系図なんて、あっという間に作れてしまうこととなる。
家系を調べたい方は、明治期の本家を探すことが肝心で、それを飛ばしてはいけない。インターネットという便利なツールを利用したいのは判るが、ネット上に書いて良いものと悪いものがある。家系は今日でいう戸籍・除籍謄本と同じことだということを、どうかご理解頂きたい。役所が貴方の戸籍・除籍をネットに公開すればどうなるかくらいはお分かりになるだろう。家系の調査は地道に行うもので、ネットで安易に情報を求めるものではない。
貴方が著名な歴史人物の後裔であろうと、ご本家と共に祭祀を継承する気がないのであれば、則ち、毎年遠祖の供養について、御香料・御仏花料・お供え料・墓地管理費の一部を分担する気がないのであれば、遠祖の歴史を共有しているとは言えない。
家系と遠祖の祭祀は別物ではない。どうかそのことをご理解されるよう、心よりお願いする。家系は玩具(おもちゃ)にするものではない。