彼岸会法要 南無阿弥陀仏
2017-03
郡山城の桜と天守台
郡山城では明後日から始まる「お城祭り」の準備が着々と進んでいた。先ほど追手門付近まで見に行ったが、桜はまだ蕾の段階。大きさは小豆大程度であったので、開花は遅れるだろう。今日もこの寒さであるから、恐らくあと一週間はしないと咲き始めないと思う。...
蕾ふくらむ・・・・
暑さ寒さも彼岸まで・・・南都奈良ではお水取りが済まないと春は来ないと言われている。これは奈良で育った父が毎年口にしていた言葉だ。今は亡き父を思う時いつも浮かんでくる。高齢になった父は毎年多くの防寒具に包まり、3月始めまでは外へ出ることはなか...
お墓参りとサザエさん
今日は彼岸の中日。菩提寺へは18日の彼岸会法要で卒塔婆供養をして頂くためお参りしているが、墓所への献花はお中日にしているので、ちょっと大きめの墓所用のお花を買って、ご先祖に挨拶してきた。 若いころは春秋の彼岸と言えば、連休になるので遊びにゆ...
彼岸会法要 南無阿弥陀仏
今日は菩提寺にて春の彼岸会法要が行われた。私は必ず参拝し、卒塔婆供養をして頂いている。今日は少し離れた処のお寺から、副住職が法話にこられた。30を少し過ぎた方であったが、話が上手く、お年寄りたちをうまく引き付けて、約1時間の法話をされた。私...
大和郡山藩郷鑑
郡山藩の郷鑑はその存在は随分前から知られており、郡山市史にも一部掲載されているが、その史料を書籍化することは、近世の穢多・非人・夙・神子・隠亡などのことも記載されているので、史学者達も自ら手を挙げることはされなかったようである。 これを出版...
明治22年の御所騒動
昨日書いた丹波氷上郡の会所一件に関する記事が、連携しているfacebookで完全にシャットアウトされていた。 もしかすると有るかもしれないとは思っていたが、やはりソーシャルメディアでは禁句になっている。 これは已むを得ないことと思うが、かと...
丹波国氷上郡 真宗会所に関する史料を見る
歴史の史料を読み解いて行くと、思わぬ史料に出くわすことがある。過日より何度かこのサイトで書いているが、新修亀岡市史には桑田郡のことだけだけでなく、亀山藩が飛び地として支配した丹波氷上郡や備前の史料が含まれている。 今回は氷上郡の真宗会所につ...
多武峰を支えた人々/郡山藩
大和明日香の古代遺跡を巡る観光者は大勢おられる。又、秋の紅葉の季節には談山神社へ多くの観光客が訪れる。大化の改新の謀議を行ったとされる現在の談山神社。ここは藤原鎌足を祀るまさに古刹である。豊臣時代、秀吉はこの多武峰より大和郡山の豊臣秀長の元...