学校を卒業し社会人になると、社会人として必要な勉強以外は殆どしなくなってしまう。私もそうであったが、現在の学校教育だけでは、日本人として当然知っていなければならなかった社会常識(特に歴史故事)などは、自らが意識して勉強しないことには、理解している方を探す方が難しくなっているように感じる。
インターネットが普及した現在、大学へ進学されなかった方でも、勉強しようとすればある程度の知識は学ぶことが出来るが、やはり順を追って学んでゆくということは大事で、社会人として結構な年齢になられており、自然と理解してきたように思っておられる方でも、案外勘違いをしておられることも多くおられるようである。
私も最近になって勘違いに気づき、よくまあ、知ったかぶりをして外で話をしなかったものだと冷や汗をかいた経験もある。
明治以降学校教育制度が完備されたことは、国民にとって大変すばらしいことであったが、反面、江戸期などは「語り物」」や「芝居物」として殆どの人が知っていたことなどは、学校教育から外れたこともあって、近年では全くと言っても良いくらいご存じないことがある。
その最たるものが「太平記」であろう。
明治政府による「天皇神格化」教育の一環として、忠臣「楠正成」を英雄化したことが、結果として南北朝期の歴史教育を疎外してしまうこととなった。
京都の平安神宮は明治期なって国策として建立されたもので、毎年10月10日の大例祭には京都市民総出で、時代行列を実施し、京都の三大祭りの一つとなっている。
ここでは「天皇親政」が誇張され、後醍醐天皇に生涯をささげた楠正成を賛美することが求められた。
その結果として逆臣「足利尊氏」は排除され、つい近年まで室町時代の武将は全く考慮されなかった。
これは少し考えれば判ることなのだが、現在の天皇家は北朝の家系を引いておられる。そのことを一般市民には一切知らせず、光厳天皇と共に南北朝の動乱に大活躍した尊氏以下の武将たちをを排除してきたのである。
従って、南朝の歴史を研究する学者は優遇されるが、尊氏を始めとして、この時期に活躍した各地の武将たちに目を向けることは史学としてもされてこなかったのである。
全く無茶苦茶なこじ付けであったが、誰も歴史の検証をしないものだから、こんな理屈に合わないことがごく近年までまかり通っていた。
南北朝期の研究について書かれた博士論文を読んだ事があるが、この程度で博士号の認定を受けられるのであれば、私もちょっと書いてみようかと思ったこともあった。
もう10年若かったら論文に挑戦する気力も残っていただろうが、残念ながら健康の問題もあって気力が続かないと諦めた次第である。
この論文を読んで、若い方でこの頃の歴史を研究して下さっていることに感謝したし、また、彼女をご指導頂いた教授・論文審査に携われた複数の教授がおられることを嬉しくも思った。
私が住んでいる市の市民クラブに「歴史研究」をされている教室があるようなので、一度お訪ねしようかとも思うが、そのクラブが「後醍醐天皇による南朝史」を研究しておられるので、尊氏の幕僚として敵対した者の子孫を快く思って頂けるかどうか、聊か心許ない。
南北朝動乱期の歴史史料を中心に研究して来たので、大学の史学科程度の歴史講義だと私の方が詳しいことになるので、つい口を挟みたくなってしまう。
そんな場違いなことをすれば皆さんのご迷惑にもなるので、この勉強会への参加は見合わせた。
処が、別の公民館支部において、南朝中心の太平記ではない講義が行われるということを市民広報誌で知り、これは少し興味を持てそうだと思い、早速申し込みをして、先月末に第一回目の講義に参加してきた。
思ったより盛況で、約50人ほど受講者がおられた。
講師の方もベテランで、史料の作成も素人にわかりやすいようにうまく作られており、中々のものだった。これから秋まで、月2回程度の講義が続く。
この先どう展開するのか判らないが、復習のつもりで出席してゆこうと思う。
受講者の平均年齢は私くらい(70才)だと感じた。まだ勉強の意欲を強く持っておられる方々には頭が下がる。隣に座っておられたご婦人は古代史における氏族の系譜を記載したノートをご持参になっていた。今まで勉強してこられたことがよくわかる。
次回に少しお声がけしてみようかと思うくらい、レベルの高い調査をされてきたように感じた。
最近しばらくご無沙汰しているが、奈良の図書情報館へ行くと、近世の歴史史料を調査されている方も時々お見受けした。
流石に、私のように明治初期の公文書を調べている方をお見受けしたのは、この10年程で2~3度だけだったが、素人でも相当な研究者はおられる。
調べておられる史料を見れば、何を目的としておられるか、大体想像が付く。
大学の授業と異なり、何時までに論文を仕上げなければならないという期限はないので、健康状態を見ながらであるが、これからもコツコツと研究を続けてゆきたいと思う。
僅かな勉強であるが、ほぼ毎日歴史史料を読み込んできたので、少しずつではあるが知識の蓄積が出来た。所謂「和漢文」と呼ばれる史料も、返り点や訓点がなくても読みこなすことが出来るようになったのには、自分でも感心している。全くの独学でここまでこれたのは、大学受験の為に必死になって勉強していた50年前の努力の延長であることは間違いない。
あの受験の経験なくしては、今、歴史史料に取り組みことはなかったと思う。