国鉄山陰線の複線化工事により、嵯峨と馬堀(亀岡市)の間に新たなトンネルが掘られ、旧線が廃止になることとなったが、風光明媚な保津川沿いの線路を何とか残せないものだろうかと多くの方々が奔走された結果、嵯峨トロッコ鉄道をつくって旧線上を運行することとなった。当時はそんなに人気は上がらず、存続の危機を迎えていたが、近年の観光ブームにより、今では乗車券の予約をすることも困難なほど、大成功を収めている。
私は子供の頃より何度か山陰線にのっていたので、今更トロッコ列車に乗りたいとは思わないが、あの風光明媚な渓谷をトロッコ列車でゆっくり移動するのは確かに優雅である。
トロッコ亀岡駅からは大堰川(大井川)の山本まで歩き、そこから保津川(大井川が保津川と名を変える)下りの船に乗船し、スリル満点の船下りを楽しみ、嵐山の渡月橋にて着船し、嵐山・嵯峨・嵯峨野を散策するのは、正にゴールデンルートと言っても良いだろう。
前置きが長くなったが、この川筋は平安京の建設と大きな係わりがあり、丹波各地より切り出された材木はすべてこの川筋を通り、京都の嵐山・松尾・桂・鳥羽へ運ばれ、そこからまた水路を通って京都各地へ運ばれたのである。
平安期には国司藤原氏によって、保津・山本に役所が設けられ、丹波から切り出された材木は、ここで筏に纏められ、保津・山本の村人によって京都まで運ばれた。
上流より直接京都まで運ぶには、川関所にて通行税を支払わねばならなかった。
保津・山本両村は長年にわたり、この川関所を支配する中世武士団であり、南北朝より戦国時代にかけて、麻のように縺れた戦乱の中に丹波の在地土豪も巻き込まれてゆく。特に保津・山本の武士団の度重なる活躍は、在地に中世史料が残されていることで、歴史研究の題材としてまだまだ研究の余地があると言えよう。
江戸期にこの保津川下りを楽しんだ、皆川淇園(みながわきえん・江戸中期の儒学者)は嵐峡紀行(らんきょうきこう)という一文を残しているので、これを見てみることとする。
なお、原文は漢文で書かれているが、訓点の入力が出来ないので、読み下しておく。
【嵐峡紀行】
辛丑(かのとうし)(安永十年・1781)春三月十日、亀山に赴いて住(ゆ)く。辰牌(午前八時前後一時間)京を発し、末牌(夕刻の意味か)藩(丹波亀山藩・現在の京都府亀岡市)に低(たれ)る。夜、東渓大夫(亀山藩家老 松平新祐〔まつだいらしんすけ〕)の家に宿す。島潜夫(中島漁)至(いたれ)る。酒の間に文を論ず。数刻にして別れ去る。余(皆川淇園)寝に於く(つく)。その明くる日寅牌亀山を発さんと欲す。
源子求(げんしきゅう・これも松平新祐の号)・島潜夫、乃、余に勧めて途(みち)を保津にとり、以って舟を同じく、峡を下り花を賞せんと欲す。
舟未だ発せず。春陰〇曖(しゅんいんえんあい)衆雨慮(おもんばかる)。舟人云う。山際雲無し。縦(たと)ひ雨ふるも亦旋霽(はれる)耳(のみ)。遂に発し行くこと一里許(ばかり)、雨之に及ぶ。峡舟例二人を裁すること許さず。是の日、東渓(松平新祐)命ずる処を以って、吾ら四人。僕四人与(と)同じく艘中(そうちゅう)に坐す。(僕四人は下僕が四人という意味。この船には皆川淇園と松平新祐・島潜夫・軽森生の亀山藩士が乗っていた)是に於いて傘を拡げ雨を避く。傘蓋し相い重なり〇滴(ろてき)衣を淋す。舟人時時その巌の異石を指し示す。因って諷以って飲まんと欲す。軽森生云う。吾れ亦(また)甚(はなはだ)飲まんと欲す。手の酒〇(しゅこう 酒樽のこと)開く可(べ)き耳(のみ)。衆皆大いに笑う。逡巡。一舟子崖に上り、水に沿って南へ走る。余問う。何の故を。答えて云う。前路狭く水険し。来る舟あるときは相触れ、即ち粉砕ある如し矣。故に之を視て相譲り令しめんと欲す。既にして走者還り報す。来舟無し矣。乃(よって)舟に上る。〇(きょう 竿のこと)を持して巌を点じしめ、〇(ささ)へ開く舟、峻湍(しゅんたん 早い瀬のこと)を下る。勢い飛矢の如し。嵐山に達する比(ころ)雨勢稍減(しょうげん 雨が止んでくること)し、桜数百株、皆巳花を発す。紅白濃淡、映す緑〇(りょくしょう)青松之間に雑り、軽雲細雨の以ってせられる。美錦巧繍と雖も、殆ど如くならず也。時に舟中傘滴潦(ろう 涼しいこと)を成す。復(また)坐す可(べ)からずに至る。砂〇(さじゅ 川岸の砂地の意味か)歩す可きを見る。皆倶(とも)に舟を下りて行く。余偶(たまたま)一小亀を拾う。大きさ僅かに銭の如し。僕(下僕のこと)に命じて之を収め、林を左にし、水を右にして行くこと数歩、路の左に一茅軒を得、潔浄坐す可し。遂に之に就く。
(長いので、このあとは省略 気が向けば追加するカモ JISコードで変換出来なかった文字は〇で記し、読みだけを記載した。)
江戸時代中期の保津川下り。一般庶民はこんなことできませんが、流石は丹波亀山藩のご家老様。著名な京都の儒者皆川淇園と堂々たる交流です。