昨日久しぶりに郡山城址にある柳澤文庫へ行ってきた。丁度幕末に郡山城が焼失したあと再建した在地の史料が何点か発掘され、既存のものと一緒に展示してあった。
日曜日ということもあって理事さんと学芸員さんもおられたので、事務室でついつい話し込んでしまった。城の再建については拙家の当主が普請奉行であったので、采配にあたっていた。明治維新の10年ほど前に再建できたのは、領地内の皆さんより多くのご寄進を頂いたり、夫役をお願いしたりして完成したのであるが、明治維新後の廃城令により、新築間もない御殿は取り壊され、木材などは残らず売り払われてしまった。
拙家当主は明治8年に亡くなっているので、自らが差配した御殿の取り壊しをどのような気持ちで見ていたのだろうかと思うと、誠に心が痛む。
今回文庫で新たに発見された史料によると、御殿には狩野派の絵師による障壁画やふすまがあったことが判った。これらの解体された木材や襖など、売り払ったお金はどこへいったのか、全く記録が残っていない。拙家の菩提寺には旧肥前藩士の墓石が一つある。薩長土肥より郡山へ入り込んだこれらの人々がどのような動きをしたのか、全く記録がない。
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