戊辰戦争と丹波
奈良・郡山
東寺文書に見る奈良大乗院と明日香弘福寺・河原庄
私が中世文書を読みだしたのは、27~8才の頃だったと思う。拙家遠祖が領した丹波大山庄に関して在地で村史が発行されており、それを在地の本家ご当主が入手されたのでプレゼントして貰ったのがきっかけだった。当時は大学受験で日本史を勉強した以外何の知...
室町時代の奈良福智院について
先日奈良福智院へお参りしてきた。私が研究している中で、福智院文書があることは知っていたが、さっと目を通しただけだったので殆ど記憶にない。幕府の奉行人奉書に何かあったような気がしたので蔵書を調べてみたら、当時は福智堂という名で呼ばれていたらし...
啓蟄に思う
毎年この時期になると「啓蟄」を思い出す。父の誕生日が3月5日だったこともあるが、この頃から地中で冬眠していた虫達がぞろぞろと地上へ出てくる季節ということを表している。元は中国から日本に定着した24節季の一つだが、本家の中国の方ではこういう習...
幕末の大和郡山城再建について
昨日久しぶりに郡山城址にある柳澤文庫へ行ってきた。丁度幕末に郡山城が焼失したあと再建した在地の史料が何点か発掘され、既存のものと一緒に展示してあった。日曜日ということもあって理事さんと学芸員さんもおられたので、事務室でついつい話し込んでしま...
桜が満開
今日は日中殆ど薄曇りで、満開の桜と空の色が合わない、鬱陶しい天気だった。近所の古民家にある樹齢100年近いであろう桜が、今年も綺麗な花を咲かせてくれている。この桜は普通のとは少し違い、花弁が大きいのである。樹齢との関係もあろうが、それにして...
郡山城の桜と天守台
郡山城では明後日から始まる「お城祭り」の準備が着々と進んでいた。先ほど追手門付近まで見に行ったが、桜はまだ蕾の段階。大きさは小豆大程度であったので、開花は遅れるだろう。今日もこの寒さであるから、恐らくあと一週間はしないと咲き始めないと思う。...
蕾ふくらむ・・・・
暑さ寒さも彼岸まで・・・南都奈良ではお水取りが済まないと春は来ないと言われている。これは奈良で育った父が毎年口にしていた言葉だ。今は亡き父を思う時いつも浮かんでくる。高齢になった父は毎年多くの防寒具に包まり、3月始めまでは外へ出ることはなか...
彼岸会法要 南無阿弥陀仏
今日は菩提寺にて春の彼岸会法要が行われた。私は必ず参拝し、卒塔婆供養をして頂いている。今日は少し離れた処のお寺から、副住職が法話にこられた。30を少し過ぎた方であったが、話が上手く、お年寄りたちをうまく引き付けて、約1時間の法話をされた。私...
大和郡山藩郷鑑
郡山藩の郷鑑はその存在は随分前から知られており、郡山市史にも一部掲載されているが、その史料を書籍化することは、近世の穢多・非人・夙・神子・隠亡などのことも記載されているので、史学者達も自ら手を挙げることはされなかったようである。 これを出版...
明治22年の御所騒動
昨日書いた丹波氷上郡の会所一件に関する記事が、連携しているfacebookで完全にシャットアウトされていた。 もしかすると有るかもしれないとは思っていたが、やはりソーシャルメディアでは禁句になっている。 これは已むを得ないことと思うが、かと...