ネット時代の音楽家達
京都・丹波
私の研究成果を少しだけ
市井の史学者などと戯けたことを申しておりますと、いやいや、論文も発表しないやつが何いうてんねん。とのお叱りもございましたので、拙家関係の文献を元に作っている史料集から少しだけ抜き出しておきました。 こんなことやってます。 e5198cbd3...
最近の検索ワードにコメントしてみます。
この数か月体調が思わしくないので投稿を休んでいましたが、今日は久ぶりに気力が戻っていますので、最近このサイトで検索された「キーワード」でお答えできるものを少し書いておきます。 「丹波国多紀郡苗字 〇〇〇」多紀郡にお住いの方がご先祖を確認でき...
太平記を読み直し
5月から始まった歴史講座を受講していることもあって、久しぶりに「太平記」を読み直している。以前は拙家に関することを中心に考えていたので、その他の記述は流し読みしていたこともあり、今回読み直しをしていると、新たな発見が沢山あるように感じる。 ...
440年前の一族訪問、丹波大山城
先日久しぶりに丹波へ行ってきた。主たる目的は440年ほど前に分かれた一族の後裔である老夫婦へのお見舞いであった。20年ほど前になるが、一時拙家が関係した庄園の歴史について武家の立場から見た庄園史的な雑文をネットに上げていたことがあり、それを...
丹波国桑田・船井両郡一揆衆
丹波国桑田郡・船井郡には以前少し触れたが「弓射連中」という組織があり、その連中の後胤には結構豊富な中世史料が現存している。江戸初期に書かれた「弓射連中」の由緒は過去の記事を見て頂きたいが、今回はこの連中の前身になる「丹波国桑田・船井両郡一揆...
室町幕府奉行人の署名方法
極々偶にであるが、ネットに書かれている歴史関係のご質問にお答えすることがある。ここ2~3年は殆ど書かなくなったが、10年ほど前は時々書いていた。その中で、源平藤橘などの姓・朝臣と書いてあるものについてのご質問があったので、お答えしたことがあ...
江戸中期の保津川下り(丹波亀山藩家老 松平新祐と皆川淇園)
国鉄山陰線の複線化工事により、嵯峨と馬堀(亀岡市)の間に新たなトンネルが掘られ、旧線が廃止になることとなったが、風光明媚な保津川沿いの線路を何とか残せないものだろうかと多くの方々が奔走された結果、嵯峨トロッコ鉄道をつくって旧線上を運行するこ...
源頼政・山本義経と丹波篠村庄・五箇荘庄・山本庄
京都から丹波へ、大枝山(現在の老の阪)を越えて口丹波(くちたんば)へ入り、丹波盆地へ入ったところが、篠村庄・五箇荘庄になる。平安期には藤原氏の国司が支配したようで、今昔物語にも篠村庄の不思議な茸の話が出ている。 その後平安後期に入ってから、...
赤井英和さん・ファミリーヒストリー
昨年NHKのファミリーヒストリーでジャーナリストの鳥越俊太郎氏の家系偽装が大問題となり、ネットを賑わした。私もブログに少し書いておいたが、いまふと思いついてNHKのサイトを見たら、なんとこの番組が打ち切りになっている。 昨年の末から今年の初...
戊辰戦争と丹波
幕末の動乱はその勢いを止めることは無く、薩州・長州の先方は伏見城を守る幕府へと突き進んでいった。正月だというのに彼ら何故新年を寿ぐことをしなかったのだろう。兵庫沖に停泊した幕府の艦船が2日の夕方に薩摩の艦船を砲撃したことが端緒だった。しかし...