家系の遡及について

家系の遡及

長年歴史を齧ってきたこともあって、これまで何度か家系の遡及についてご質問を受け、アドバイスさせて頂いたことがあった。そんなことから、家系を調査するに必要なことを少し書いてみる。

日常生活してゆく上では全く考えもしないのだが、ふとした時に自分の先祖は何処からきたのだろうかと疑問に思うこともある。
祖父母・曾祖父母くらいまでは知っていても、それ以前となると面識はないのが普通だ。
そうなると、果て、私のルーツは何処にあるの?という事になるが、どうすれば調べられるのか理解している方は殆どおられないだろう。

先ず一番にすることは、自分の戸籍・両親の戸籍を市役所・区役所・役場へ行き、戸籍の担当者に「遡れるだけ戸籍を下さい。」とお願いすることから始める。

祖父母・曾祖父母と同じ家に住まいしているなら一度で済むが、分家して在地を離れていると、その先の市町村へ戸籍の照会をしなければならない。

両親と自分は同居しているが、祖父母は他府県に住んでいる場合は、自分と両親の戸籍を取得した後、それらをコピーして祖父母の戸籍がある市町村へ赴き、戸籍係に依頼しなければならない。その時は自分を証明する物、例えば自動車の運転免許証や健康保険の証書をコピーを持参して、持参した戸籍のコピーと共に提出しなければならない。
遠距離の場合はワープロで戸籍の交付を依頼する理由を書いて、一緒に送付する。

これを繰り返し、一代づつ戸籍を揃えて行くのだが、これが案外手間が掛かる。

次にすることは代々の菩提寺は何処にあるかということを確認するのだが、これについてはご分家で既に本家の当主と縁が切れているような場合、本家に(則、代々の位牌を継承し菩提寺にて供養を継承している家)を訪ね、仏壇にお参りさせて頂き、ご位牌を見せて頂かねばならない。

その時に出方を誤ると、全く受け入れて貰えない場合もある。
何故なら、今まで交流が無かったような場合は、遠祖の供養に必要な費用をこの家系は分担してこなかったということを、本家筋の当主はしっかり判っているのである。

・毎月月参りをして頂いている家なら毎月住職にお渡しする費用
・春秋彼岸会や夏の施餓鬼供養の時に菩提寺で卒塔婆供養をして頂く費用
・50年毎に行う遠忌に係る費用
・菩提寺の修繕や建て替えに必要な寄付金
・住職交代の晋山式に係る費用等

どれ一つとっても、長年家系が続いている家ほど、遠祖の供養の係る費用は決して少なくないのである。
遠忌供養は50年に一度だといっても、長年の歴史を持っておられる家系だと相当な人数になる。拙家は分流してから380年ほどになるが、その間の遠祖は早世の子も入れると30名を超える。それらが50年毎とは言え順々に遠忌を迎える。

それを、何代も後になってから、分家になりますが遠祖のことを調べています言っても、相手にされないことの方が多いと思う。

本家筋の当主と交流がないという事は、代々に亘って本家に不義理をしてきたという事になる。これをちゃんと弁えて措かないと、出方を一つ誤ればその先へは全く進めなくなる事の方が多い。

先ず本家にそれなりの金額のお供えを持って行き、本家のご仏壇にお参りさせて頂き、長年の無沙汰を詫び、ご当主に受け入れて頂ければ、菩提寺にご案内頂けるだろう。
遠祖の墓石にお参りし、菩提寺のご本尊にお参りした後で、ご住職に過去帳の閲覧を依頼すれば、受け入れて頂けるだろう。

では幾ら持ってゆけば良いのかと言う事であるが、分家してから今日までの年数を数え、前記した費用のうち分担すべきと思う費用をお供えすれば良いだろう。

毎月家にお参り頂いている家系だと、凡そ年6万円
春秋の彼岸会・夏の施餓鬼供養の供養料がそれぞれ5千円として3回
次々と迎える遠祖の遠忌供養にはその都度5万円
菩提寺の修復や建替えなどの寄付金 30~40年に一度はそれなりの費用(50~100万円)が必要
住職の晋山式に於けるお供え 代替わりの時だから30年くらいに一度で10万円
墓地の管理料 年5千円

これらを考えれば凡の金額は推察できるだろう。ここで吝嗇(りんしょく ケチなこと)をすれば、遠祖の遡及など出来ないと言ってよいと思う。

これを、本家筋の当主を飛ばし、菩提寺に直接行って住職にお願いしても、先ず断られるだけである。

家系を云々ということは、系図があるからとかではなく、代々遠祖の供養を行ってきて頂いた家、それが本家なのであるが、その一族を代々に亘り交流があるということが、家系なのである。

わけのワカラン家系図をどこかで移させて貰ったり、故買屋(けいずや)から偽系図を買ったりしても、代々の遠祖が何処に葬られているかワカランでは、

そんな家系図は全く意味をなさない。

今日まで何度かご質問にお答えしてきたが、皆さん家系図を作ることだけが目的であって、遠祖の祭祀を継続して行ってきて頂いた本家に頭を下げて挨拶に行きなさいと申し上げると、誰一人としてそれ以上のことはされなかったように思う。

過去を遡る事は知らなかったほうが良いことをも知ることとなる。明治の大改革が行われるまで、古代より緩やかではあるが連綿と続いた身分社会は現存しており、今日でもまだ被差別団体を組織している方々もおられる。

それら社会の見えない壁、緩やかではあったが確実に違いが生じていた在地の身分社会と関係なして遠祖の遡及だけをお気楽に出来るものではないことも理解してほしいと思う。

「歴史は非情」これが現実です。

タイトルとURLをコピーしました