京都奥嵯峨 直指庵(じきしあん)の柴垣 随分前になるが、年老いた尼僧の庵主さんが静かにお勤めになっていたが、ご高齢であったことも理由の一つであろうが、女性週刊誌で有名になりかなりの収入になってから、突然、庵主さんが正式な尼僧としての資格を持っておられなかった事を理由にこの庵を退去させられました。
誠にお気の毒であり、近隣の方々を始めとして多くの方が本山に嘆願されたようですが、ダメだったようです。
代わりに入ったのが男性の住職というから、イヤハヤ坊主の世界はワカリマセン。
恋に破れた女性が一人佇むには最高の環境です。
子供の頃この横を通って、山を越えた処にある菖蒲ケ谷池へハイキングにいったので、今でも印象深く心に残っている。
時代劇で池の畔でチャンバラするのにロケで良く使われています。
この菖蒲ケ谷という処は平家物語で有名な平清盛の孫、六代御前が隠れ住んだ処です。その子を庇護したのが彼の有名が斎藤別当実盛の子供、斎藤五、斎藤六でした。結局六代は捉えられ切られました。実盛は命を受け木曽義仲追討の為出陣するとき、生まれ故郷の越前へは錦の鎧で赴きたいと願い、許しを得たことは有名です。
今日「故郷に錦を飾る」という言葉は、この時の実盛の事を例に引いているのです。「錦」は高位の者しか許されない色だったのです。
奥嵯峨へ行かれるのなら、前もって平家物語を読んでおくと、感慨深いものがあります。清盛の寵愛を受けた祇王を祀る祇王寺もありますし、大覚寺・天龍寺を筆頭にして嵯峨・嵯峨野は実に奥深いものがあります。