長らく歴史の研究をしてきたことから、必然的に家系の遡及についても知識が備わってきた。インターネットが普及する前にパソコン通信時代にNiftyに加入していたことから、その中にあったREKISHI FORUM に参加するようになり、随分沢山のヒントを頂いた。そのこと、家系を歴史的に研究される方がおられ、 KAKEI FORUM が作られたので、其処へも参加するようになり、私自身の家系について、伝承であった(文書はある))ものを検証してゆくことの必要性を強く認識するようになった。
こんなこと、歴史の研究者ならば当然の事だが、一般人には「史料」と「資料」の区別もつかないし、「一次史料」「二次史料」などと言われても、全くその違いも判らなかった。
しかし、石の上に三年ではないが、コツコツとであるが色んな専門書を読み込んでゆく中で、今まで漠然とでしか理解していなかったものが僅かづつではあるが、理解できるようになってきた。
かれこれ10年以上してからであろうか、活字化してある歴史史料であれば、殆どのものを読み下すことが出来るようになり、その後は所謂古文書解読のための「くずし字」にも首を突っ込むこととなった。
これは私が伝承している古文書の読み下しを幾つかの図書館や歴史研究機関にお願いしたのであるが、全てで断られてしまったことに起因する。私は家にある古文書を大学や研究機関で公開することを認めなかったのである。
研究者にとっては、未だ見ぬ古文書を解読してこそ業績を挙げることが出来るのであり、その為には論文として公開しないことには、商売にならないのである。\r\n\r\n40通近くの古文書の解読は大変な労力をようするものであり、断られたのも止むを得ないことであった。そのような経過があったので、やむをえず自分で解読に挑んだのである。必死になって何冊もの参考書を使い読み下した結果、漸くではあるが95%位は解読できたと思う。手紙にはその家のプライバシーがそのまま記載されているので、古いものだからと言って安易に公開するものではないと思っていたが、実際その通りであった。これを研究機関に預けていたら、親戚のプライバシーが丸裸になってしまう処であった。
これらの文書のごく一部を歴史研究機関の展覧会に出典することを許可したが、今後は将来に亘って公開することは無いだろう。愚息にもそのことを伝えてあるので、解ってくれると思う。